趣味というのは、面倒くさいからいいのだ、という人がいます。その意見にはある程度賛成できます。僕が写真をフィルムで撮る理由のひとつもそこにあると感じているからです。液温を管理しながら苦労してフィルムを現像し、暗室でテストプリントを重ねて1枚の写真を作り込んでいく過程には、手間も時間もかかるものの、時間を忘れて没頭できる楽しさがあります。またそうして時間をかけて作ったプリントにはとても存在感があり、親しい人に渡す楽しみも大きくしてくれるものです。写真という分野において、フィルムの撮影はいわば「不便」に振り切られていて、だからこそ出来上がった写真に魅力を感じるのかもしれません。

しかしもっと気軽なお出かけにカメラを持っていきたい時であったり、トライ&エラーを重ねる必要のある場面や、どうしても失敗したくないような状況においては、デジタルカメラは適任です。シャッターを切れば1ピクセルの間違いもなく記録されますし、プリントしたくなったらお店でも家でも思った通りの絵が即座にプリンターから出てきます。フィルムとは対極的にデジタルでの写真撮影は「便利」に振り切られており、またこれからもそれを目指し続けるものなのでしょう。

僕が Leica X1 を買ったのは、2012年にヨーロッパへ旅行へ行こうと思ったとき、当時既に型落ちのモデルであったものの、ずっと欲しいと思っていたこのカメラを旅の相棒にしたいと思ったからでした(ちなみにX2でなくX1にしたのは、X1のデザイン哲学をX2は引き継いでいないと感じたから)。その時は、ただシンプルで美しいプロダクトデザインと、ライカレンズの色味に惹かれて購入しました。

2022年に使うデジタルカメラとしては、Leica X1 は不便な道具です。起動は遅く、オートフォーカスも遅く、かといってマニュアルフォーカスもやりにくく、天板のダイヤルはすぐズレるし、電池の減りも早いし、日中は背面モニターがほとんど見えません。

しかしそれら不便を補って余りあるほど、Leica X1 は愛着のあるカメラです。ただ長く使ってきたから、ということ以上の魅力が、このカメラにはあるのです。M型ライカの軍艦部を取り除いてそのままぎゅっと縮めてしまったようなデザインや、丸形のポップアップ式フラッシュのような遊び心がありながら、ボディはマグネシウムの塊といった風で、頑丈そのものです(何度か落としてますが、今のところ故障はありません)。たとえ電源を切っていても、天板を見れば露出の設定がひと目でわかるデザインであることも、できるだけマニュアルで撮影したい派としては嬉しいところです(感度除く)。自動露出も設定できますが、マニュアルで露出を設定し、ぴたっとはまったときの色の深みには、何年使っても驚くほどです。おそらくレンズによるものだと思うのですが、どんな写真もドキュメンタリー映画のような、シリアスなタッチにしてしまいます。

そしてなぜ、出かけるときに何となく選ぶカメラが Leica X1 のことが多いのだろう、と考えたとき、このカメラがほどよく不便であることも理由のひとつになっているのだろうな、と思います。出来上がる写真を想定し、露出やピントを合わせるために、少し時間をとってカメラと対話する。その対話は必ずしもスムーズではないことが多いものの、フィルムカメラほどは抽象的でなく、普通のデジタルカメラほど具体的ではない、奇妙に心地よい曖昧さがあります。そしてその対話がちょうどよいところで結論を出したとき、思い描いた以上の写真として残してくれる、そんなカメラなのです。