朝9時/20分間

昨夜と同様に「慈しみの言葉」を読むことから始める。手順が一つ増えてめんどくさそうだな、と思っていたが、案外そうでもない。言葉を辿りながら親しい人達の顔を思い浮かべるのは、悲しいような、嬉しいような、でも暖かい気分だ。どれほど強く念じながら読むべきかはよくわからないが、普通に読む速度に合わせて心から念じることにしている。

途中、物音で何度も気を逸らされたが、その度に「気を逸らした自分」を観るようにつとめた。反応というのは、普段あまりに自動的に行っているのでその仕組みがどうなっているのか意識することがない。映画「トゥルーマン・ショー」のように、自意識の壁一枚隔てた裏側では外からの刺激を処理する仕組みが休みなく働いている。壁を壊して、その中で何が行われているかをありのままに見なければならない。

深夜2時/10分間

眠すぎて途中で中断した。

始める前に「慈しみの言葉」を読んでいて、一番最初の段落の、自分へ向けた言葉が一番心から念じられていないことに気づく。それは自分のことはどうでもいいという投げやりな態度や、自分の幸せを追い求めることは自己中心的すぎるのではないか、という疑念があるからだと思う。「慈しみの言葉」を繰り返すだけで、この性質は変わっていくのだろうか。自己否定の根はひどく深くまで根を下ろしていて、簡単に解けるものではないと思う。

瞑想はあまりはかどらなかった。