敏感すぎるあなたへ」のテンセンテンス法トレーニング9日目。

センテンスの内容にあまり関係のない感覚を動員させるのが少し面倒に感じるようになってきました。例えば今日は好きな車を運転するところをイメージしていたのですが、味覚を動員させるためにカフェに行くストーリーを作る必要がありました。毎回これをやるのは大変だなぁ、と思います。やり方を少し工夫する必要があるかもしれません。

それよりも問題だと感じているのは、トレーニングの最中にあまりポジティブで明るい気持ちになれないことです。センテンスの内容に問題があるのでしょうか。つまり、書いたときにはこれこそが素晴らしい人生だ、と思っていたけれど、それは自分にとっての素晴らしい人生ではなかった、ということでしょうか。それとも、まだトレーニングに心から信頼することができていないからでしょうか。

表題の本のもう一つの柱となるテクニック、「パターン・インタラプト」については、少し面白い効果が確認できました。本では不安を次のように説明しています。不安は視覚的なイメージで頭の中に現れる事が多く、それが右側か左側かは個人差があるものの、そのイメージを現れた時と反対側に移動させると印象が反転する、つまりネガティブなものはポジティブになる、と。確かに不安に駆られたとき、頭の中に現れたイメージを反対側に移動させると、ネガティブなイメージは何か別のものに変容するようです。それがポジティブなものになった、とはまだ言い切れないのですが(イメージが見えなくなってしまうような感じもあったりします)。私の場合は右側がネガティブ、左側がポジティブのようです。イメージを右、左、右、と動かすと、印象もその度に変わり、不思議というか、奇妙な感じです。

今日はほんの少し明るい気分を感じられたかもしれません。少し前の楽しかった思い出をいくつか思い出したりしました。しかしこうして心境の変化を綴るときでさえ、防衛的悲観主義の自分がネガティブな言葉を囁いているのが聞こえてくるかのようです。「気をつけろ、油断するな、うまくいかないかもしれない、また落胆するかもしれない」と。きっとこのことについての答えは、本の「はじめに」で引用されているこの言葉でしょう。

何もかも元のままにしておきながら、何かが変わると期待するほど、愚かなことはない。
(アルバート・アインシュタイン)

防衛的悲観主義の自分はただ、自分を守ろうとしてくれているだけです。しかしそろそろお別れする日が近づいてきたのかもしれません。なんだか変な書き方かもしれませんが、ありがとうと言って笑顔で別れられたらいいだろうな、と思うのです。