午前10時/10分間

首筋の痛みが現れたとき、それを観察しようと努めた。痛みの範囲、強さ、深さを調べようとしたが、どれもぼんやりしていて、よく観る前に痛みは消えてしまった。よく考えると、今まで何か痛みを感じた時、こんな風に痛みと向き合おうとしたことはなかった。いや、頭痛には似たような対処をしたことがあった。頭痛薬がないのに偏頭痛が出て他にどうしようもなかった時に、感じ方を変えれば頭痛も軽くなるのではと思って、「この痛みは自分が生み出しているのだから、痛みは自分自身だ」と考えると、不思議と痛みが消えていった、ということがことが何度かあった。あれも「ありのままに観る」という点で同じことをしていたのだなと思う。

物音は多かったが比較的集中できていたようで、20分が早かった。調子のいい時は30分に伸ばしてみることにしよう。ただ、瞑想に集中することと、呼吸に集中することは違うような気がする。瞑想に集中できていても、呼吸に集中できていないことは多々あった。音とそれに対する自分の反応の見分け方はまだよくわからない。瞑想が筋トレと同じようなもので、続けていかないと効果を感じられない類のものだとしたら、その効果を感じられるのはやはり数週間後になるのだろう。楽しく続けられているので、気長にいきたい。

深夜1時/10分間

今日は午後から友人宅に招かれて楽しいひとときを過ごした。少々飲み過ぎてしまって頭が痛い。帰宅後、温かい風呂に入って緊張が解けたおかげで楽になったが、まだ少し頭痛が残っていたので、本の第10章に書かれている痛みへの対処の仕方に沿って瞑想してみることにした。

痛みを抑えようとせず、感覚を観察する。痛みそのものと、痛みへの身体の抵抗と心の抵抗をよく観る。痛みによって身体のどこでどんな抵抗(緊張)をしているのか。同時に、その身体の抵抗に対して、心はどんな抵抗(緊張)をしているのか。身体の抵抗と心の抵抗を分けて観ること。抵抗とは「私」と「痛み」のあいだにある境界線であり、自然な呼吸と共にその境界を通り過ぎると、分離がなくなって痛みと一体となり、苦しみが消える… これは本の要約で、文章に起こすと少々まどろっこしい印象になるが、実際にやってみるとこれらのことは一瞬のうちに起こる。痛みの観察を始めるやいなや、もはや痛みがどこにあるかわからない、という程早かった。もっとじっくり観察してみたかったのに、と思った程だ。寝床に就くとまた少し頭痛が出てきたので、布団の中で痛みを観察して、それが消えていくのを見守った。おかげよく眠れたと思う。