朝9時/20分間

ヴィパッサナー瞑想の面白い特徴は、何も座って瞑想している時だけでなく、やろうと思えばどんな場所でもできるということだ。「マインドフルネス」にも、「真剣に気づきの実践をする人は、坐って瞑想しているときであろうと、坐ってないときであろうと、昼も夜も常に現象に気づいています」(P.270) とある。そこで、駅からの帰り道に歩きながらこれを実践してみることにした。歩行瞑想というそうだ。

集中の対象は、呼吸でなく「歩くこと」にした。右、左、右… と足を繰り出している動きを観察してみる。やはりこれも呼吸と同様に集中し続けるのは難しくて、すぐに心はさまよってしまう。歩行瞑想が便利なのは、気が逸れたことに気づいて集中を戻す時に、どれだけの時間気が逸れていたかを歩いた距離で測りやすいことだ。歩くことに集中→気が逸れる→気づく→さっきの曲がり角からここまで気が逸れていた、という感じだ。

雨粒が顔に当たる感触や、冷たい風を心地よく感じることも観察しようとしたが、とても難しかった。「マインドフルネス」によると、仏教における認識の段階というのは、大体こんな感じらしい:

meditation_chart

雨が顔に当たれば(知覚)、「冷たい雨だ」と認識し(概念化)、「これ以上濡れたくないな」「風邪をひくかも」などと考える(思考)、というのが仏教における認識プロセスの考え方のようだ。瞑想初心者には、知覚の片鱗も本当に気づくことができているのかどうかわからない。

ヴィパッサナー瞑想の目的は、継続的に気づきを得ること、つまり「ありのままを知覚し、概念化しない」ことにあるようだ。しかし知覚と概念化は無意識が一瞬のうちに行うので、通常、それを別々のものとして「気づく」ことができない。無意識の領域で扱われるこれらのことに気づくためには、非常に深い集中力が必要になるのだそうだ。たかだか10日間の瞑想経験からしても、これが容易ではないことはよくわかる。